わたしの愛と性と存在のはなし

大切で素敵な友人、赤坂真理さんの新刊記念トークイベントにお邪魔してきました。

 

www.amazon.co.jp

私が赤坂さんとはじめて出会ったところは、「作家」として彼女が存在している場所ではなかったので、「先生」といわれていることがとても新鮮でした。(笑)

 

お相手をされていた慧梨香さんのお話もとっても面白くて。(SMの話とかされてたのですが、なんか自分の顔が変にニヤついてる気がして、マスクしててよかったな~って思いました。(笑)あれは広義の仮面舞踏会だったのかもしれない。)

 

 

「性」もしくは「性的なこと」って、日常あまりにそばにありすぎて、わからなくてもわからないっていいずらい。

過剰に反応してそこに意見しまくる、みたいなのも私は変な気がするし、かといって反応しなさすぎるのも違う気がするし。

 

こういう機会があることで、自分のポジションだったり、スタンスだったりを考えることができるのでありがたかったです。

 

 

まだ本は発売されたばかりで、読んでいないのですが、今日は真理さんに後押しされた気持ちで、わたしの中での「愛と性と存在のはなし」を書きたいな、と思います。

 

 

ひらたくいうと、セックスのこと。

 

f:id:bethemagic:20201111192026j:plain

なんとなく卵。笑

 

私にとって、ほんとうにセックスがこういうものなのね~!幸せなやつなのね~!というのが体感としてわかったのは、旦那と出会ってからです。

 

 

ぶっちゃけたことを書くと、それまでは私、ただただ「性欲」のつよい人間だったと思います。実際、自分の「求める欲」「私に与えてくれ」という気持ちが強すぎて、相手がEDみたいになっちゃったこともある。(これは、愛でもなんでも、とにかく自分で自分に与えなくちゃいけないんだ、ということを学んで、ずいぶん解消されました。)

旦那からも、「エネルギー吸いとられてる気がする」と言われたことがあります。(笑)私には無い、ないからほしい、と思いすぎてたんでしょうね。

 

 

話が逸れましたが

単純な「性欲」、もしくは「ほんとうは違うけど、セックスで満たせると思っていた何か」が強かったというのとは別に、

 

「性欲」と「愛情」をわざと自分でごっちゃごちゃにすることで、「恐怖」を見ないように、感じないようにしていた気がします。

 

 

男性器が自分に、物理的に入ってくること

 

 

頭では当たり前の流れだけど、これって結構意味わかんなくて(笑)。

 

 

フェラをして、手で触れて、自分でちゃんと動物のように確認して、輪郭をなぞって、安全を確認して、そういうことをしないと、その「わけのわからない物体」が「わけのわからないまま」自分の中に入ってくることになる。

 

 

女性は、大切な男性に対して「ながれ」としてはそういうことをしていても、そこに関してめちゃくちゃに集中すること(全集中!フェラの呼(自粛)になることって、滅多とないんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

 

「ながれ」があるから、舐めてはいる、触れてもいる、けどほんとうは「わけのわからない」物体が入ってくるから、集中して感じることもできない。こわいからね。

 

 

かく言う私も、その犬みたいな「確認作業」をするまでと、したあとでは、自分の身体の中に男性器がいる、という感じ方が格段に変わった気がします。

 

 

「私が中に入れることを正式に認めたものが、いる」感覚。

この安心感たるや。

 

全集中、をやったことがない方、いらっしゃったら一度、おすすめします。

感度上がるんじゃないかな。しらんけど。(笑)

 

 

とはいえ、どういうものを求めてセックスするのかとかは人それぞれだから(安心感なんぞいらんのや、って人ももちろんいるだろうし)読み流してくださるくらいで嬉しいです。

 

性の話って、誰にとってもだいたいデリケートだから、「発言しっぱなしではいけない」みたいな空気もあるように私は感じていて。

 

んー、これは書くと「いや、本来なんでも発言しっぱなしなのはダメでは?」みたいになるやつなのですが、

 

発言したことに責任を持てよ(お前そのスタンスでくるならわたし違うスタンスだからさ、意見させてもらうぜ)、という圧力が特段強いトピックな気がしてる。 

反応もデリケートだから(それだけみんな内側に抱えてるってことでもある)、ざっくり扱えないもの、というか。ざっくり扱うことの危うさももちろんあるから、むずかしいところ。

 

 

でも、こうやってわからないなりにも、難しいことは議論したくないなりにも(笑)、わからないままただ書くことが、わたしという輪郭をすこし強めてくれる、と願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

33が何かを世に出す時

今月は数秘でいうと6の月。
(数秘ネタが続きます。好きなので。)


ということで、出して出して出しまくるぞ!
とブログを書いています。

 


LPが33の私、頭の中に、
ほんとうに「お母ちゃんと子供」がいます。

なんでもすぐ行動したい!楽しけりゃいい!!
という3と、
しっかりしていたい!!みんなのために!!
みたいな6が大いに喧嘩します。
(LP33勢、お疲れ様です)

 

そして、その事実を最近知ったので、
「あ〜この嫌に真面目な人と、
(真面目な人からしたら)
信じられないくらいはちゃめちゃな人格は
君たちだったのね!」

と知った当初大いに驚きました。笑



3年前くらいから
別の場所でブログを書いたり、
インスタを投稿したりしようと
試みましたが、
ま〜、まとまらなかったんです。笑


日によってほんとにテンションが違うし、
私はSNSでは3みが出てきやすく、
普通に生きてるテンションの
1.5倍になってしまう。

だから、だんだん発信している間に、
6が怒りだして
「本当はこんな感じじゃないのに;;」
みたいになって
「ナイーブな私のことだって書きたい!;;」
ってなって

自分で自分のテンションに
ついていけなくなり、発信やめちゃう

みたいなことが
ほんと〜〜にしばしばありました。笑

 

そんな時に拝見したのが
この『AZさんの動画〜』ですよ!
ドラえもんヴォイス)

youtu.be


私は気がつきました。
使い分ければいいんか、と。
もう一回言うわ。
使い分ければいいんか、と。
アンダーラインまで引いたわ。

なんで思いつかなかったのか。
性質ごとに媒体をわければいいんですね!!


今もこうやってブログを書いていますが、
このブログはどちらかというと6ベースです。
退屈な文章にならない程度に3を散りばめてます。

ちなみに、昨日勢いで始めた、
旦那との違いを世に知らしめていくnoteは

note.com


どちらかというと3み強めで書いています。
(とはいえ説明とか6っぽい)


こちらは6ベースでいたい気持ちなので、
(書き終わって思ったけど、すごく3み強いね)
できるだけ人様に見てもらって
恥ずかしくないような←
体裁に仕上げたいし、
少し落ち着いた文面にもしたい。

わー!ぎゃー!ピギャー!(私の中の3)
みたいな部分は出さないでおきたい。

折り目正しく。
求めるところは凪。
誰かの心にそっと届くようなそよ風。
(まあ関西の血がそうはさせてくれませんが)

 


となると、ですね、お分かりの通り
結構ナイーブで、デリケートで、
暗くなります。

(それも全出ししたくて書いてる
みたいなとこあるからな)

3からは想像もできないようなことで
悩んだり、落ち込んだりします。笑



だけど、ちょっと落ち込んだときとか
前向きになれないときとか、
あるじゃないですか。
そんなことからの気づきとかを
書いていくことで

そんな時もあっていいんだよ〜
それさえ人生に必要なことなんだよ〜
まあ最悪必要でなくてもいいんだよ〜
それでも君は素晴らしいんだよ〜
愛〜愛〜


と言うことを
どこかの誰かに
丸っと伝えていくブログになれば
いいなと思っています。


だから、突然どこの真面目?
みたいな文体になったり
(このブログの最初の方の記事とか)
おしゃれ企業のバイト募集の記事か?
みたいになってたり
(小さくて大きな占いの話とか)
つかみどころのない感じに
なることも多いかもしれないけど、

これからもどうぞよろしくお願いします。



 

 





与える恐怖症

この間、旅する占い師AZさんのYOUTUBEを拝見していて、
わかりみが深すぎたこちら。

youtu.be

 
私は数秘33なのですが、
(LP、AZさんの考え方では現在)
33は3の性質が二つ、6の性質がひとつ(3+3)
あるらしく、6の動画を見てみても
ま〜〜〜その通りで!笑

この動画を見て、自分が
与える恐怖症
だったことに気がつきました。


与えたい気持ちはある、
けど、
同じくらい返して欲しい気持ちもある

今までは、
出したい気持ちの大きさを出したとして、
それに見合う分リターンがないことが
怖くて、いやで、
出すことさえ諦める(もしくは小さく出す)
ということを確かにしてきた気がします。


この動画をみてから、
武道館以来一層虜になっている
藤井風さんのクッキーを
紙粘土で工作して、ツイッターやら
インスタやらにあげたのですが

f:id:bethemagic:20201109113915j:plain
もう、こんなの恥ずかしすぎる…!
とは言いながら非常に満足してる…

自分のあふれんばかりの愛、偏愛を
世の中に晒していくなんて
重たすぎる。恥ずかしすぎる。
重い自覚があるからより一層辛い😂
とは言いながら非常に満足してる…

私の中で、芸能人やらアーティストに
ハマることって、
「リターンのないこと一位」
だったんですよね。
だから、
そんなことしたって!と思って
できなかった。


だけど、この動画を見て、
バチバチ出していっていいのね、
と久々に
「出して出して出したい欲」
が湧いてきました。

ありがとうAZさん。
おかげでヲタ感に磨きがかかりました。



もう、知らないわよ!!

私の愛って重いのよ!!!

エゴはやかましいのよ

ちょっとお席外しといてよ!!

youtu.be(このサビの
「おっと 罪の香り 抜き足差し足忍び足」
のところで
「おっと 罪の香り 喉越し しっかり生搾り
って替え歌歌ってビールのむ遊び
みんなでやろうな!)


わかったらみんな早く
「青春病」聞きなさいよ!!!

youtu.be

HELP EVER HURT NEVER

Fuji Kaze 
"NAN-NAN SHOW 2020"
HELP EVER HURT NEVER 

藤井風さんの初武道館ライブに
当選して、昨日行ってきました。
私にとっても、人生初の武道館ライブ。

f:id:bethemagic:20201030104255j:plain
彼のことは、
お友達のブログで紹介されていて
それから夫と二人どハマりして

  

ハイヤーセルフのことを歌ってたり
曲作りのベースに「祈り」があったり
人生何回めですかね?っていう天才。
 
ことばを選んで書くのが難しいくらい
素晴らしかった

もし子供生まれたら風って名前にして
ピアノ習わせよ
ってなんの疑いもなく
思ってしまうくらい素晴らしかった

 

 


はじまったとき、OPが流れた瞬間から
泣いてしまって、

あ〜私この人のこと、
前世で大好きだったことある

という、不思議な気持ちになりました。

ちなみに、この気持ち、夫にも思う。
胸の底から、好きが溢れてくるような、
気を抜いたらもう
涙が止まらなくなっちゃうような
なんとも言えない、不思議な気持ちです。

ああ〜いた!いてくれた!
生きてた!よかった!

みたいな。
ことばで表すとなんとも陳腐だけど、
本当にそういう、安堵感と嬉しさが
入り混じった気持ち。


むずかしいな、表すの

 

 

最近は、
「あ〜なんかもう本当に、
適材適所でしかいられないんだな〜」
ということを思っていて、

藤井風という人間みたいに、
23歳で武道館を背負って立って、
一曲目でアダルトちびまる子さんを
弾くような人生を歩む人もいれば

youtu.be

 

私の人生もまた、きっと適材適所なのだなあ、
ということを感じています。

私は私のようにしかなれないし、
私のようにしか生きられない


悩むのではなく、祈って行動しよう
と思えた夜でした

ちいさくておおきな占い、がしたい。

私の向かいたい方向、
欲みたいなもの、が最近チラチラ、と
しているので、書いておきます。

一つ目は、ちいさくておおきな占いをすること。

f:id:bethemagic:20201013112204p:plain


私は、人との距離感をつかむことが
元来あまり得意ではなく
(入りすぎたり、離れすぎたり)
どのくらい人を頼っていいのか、
「察して考えて」と言われると
すごく悩んでしまうタイプです。

わからんからな。笑

 

けど、大人になった今、
「私とこのくらいの距離をとって接してね」
とわざわざ教えてくれる人は、ほぼいません。

小さい頃はまだ、
嫌ならわかりやすく離れたり、
なんならちょっと叩いてみたりして(笑
わかりやすかったと思うけど
そんなこともありません。

そんな、私みたいな人は、
「ともだち」と呼べる人には
どこまで頼っていいかわからず
かといって、「大人」に頼るときにも
気合いを入れる

そんな感じの人がおおいんじゃないかな、
と思うのです。

そんなときに登場するのが、
小さくて大きな占い
です。(ババーン

とっても優しくて、
一人でも頑張らなきゃな
と思うあなたが、
わざわざこれ相談するのもな〜
と、周りに対して思ってしまうようなこと

そういうあなたにとっての
「小さなこと」には、案外あなたの
考え方の癖とか、パターンとか
なんなら避けて通ってきた傷とか
そういうものが
たくさん含まれている可能性があります。

そういう「小さなこと」が
あなたをより気楽に、気軽にしてくれる、
一番の立役者だと思うのです。


カウンセリングや占いって、
まだまだ「よほどのことがないと」
踏み出せないイメージがあると思います。

だけど、声を大にして言いたい、
「よほどのことっていつ!?」w

ちょっとしたことを、誰かに聞いてもらえたり
もしくはただ誰かと話をできたりしたら、
エネルギーの風向きって変わるものだと思うんです。

そんなに気合いをいれなくても、
実はいいことなのかもしれない。


あなたの「小さなこと」を、
一緒に聞いて、カードにも聞いてみて
大丈夫よ〜気軽に行こうよ〜って
思えるようになる時間を作りたいな、
と思っています。

カードで占う、というと、
未来への大予言
みたいなイメージを持つ方もいらっしゃるかも
しれませんが、
私の中では「今の風向きの確認」
です。

自分の周りに普段いてくれている人に
自分のことを聞いてみても、
おんなじ答えが堂々巡っちゃうときもある。

そういうときに、
ちょっと話を聞きに行ける他人がいたら、
いいな〜と思うのです。(それが私!!笑

*こんな人におすすめ*

・わざわざカウンセリングを受けに行くまでも
ない(けど、誰かに話は聞いてほしい)

・私は一人で頑張れると思ってる
(し、周りにそういうキャラ設定しちゃってて
人に頼れない)

・今どんな状況なのか、ちょっと確認して
なんなら少し、前向きな気持ちになれたら
嬉しいな

 

 

f:id:bethemagic:20201013112204p:plain



合言葉は、

「気軽に気楽に」。

・・・
ちょっとアイデアを書き留めるつもりで、
書き始めたけど、案外まとまってしまいました。笑

今後の展開を、お楽しみに。



 

 

あるがままを おすそわけ。

今は影も形もないけど、
これから生まれてくるかもしれない
じぶんのこども
という存在に対して、
私はできるだけ、じぶんの方向性が
決まってから産みたい、
できるだけ、じぶんの傷を癒してから
産みたい、と、ずっとそう思っていました。


仕事も、自分自身も、他のいろんなことも、
なるべく今自分が思いつく限りの
「より良い」に近づけてから、産みたい、と。

それは、こどもをつくってしまったら、
じぶん個人として身動きが取れなくなるぞ!
じぶんのことだけ考えるわけにはいかなくなるぞ!
というような、
焦りというか、エゴというか、
もっといい自分になってから迎えたい、
という真面目さというか

どちらかというと
少し世界を厳しい視点で見るような、
そんな心持ちでした。


ですが、ちょっと心が軽くなったので、
そのはなしをおすそわけしたいと思います。

今日は、おともだちのアカシックリーディングの
セッションを受けました。

そのお友達がみているビジョンの中に、
当たり前ようにこどもが含まれていて
上のような気持ちであることを伝えると

 

・こどもができるからって
全てできなくなるわけではない

・何かの(その多くがキャリアの)犠牲の上に、
こどもを産む選択をするというのは、
もはやしなくていい時代になっている。

・こどもができることも含めて、
私はこの魂でこのエネルギーで生きることを
楽しみ尽くしたいと思っている

という風に教えてもらえました。
自分でももちろん考えてみたことのあること
だったけど、改めて言ってもらうことで、


「あ、もしかしてこどもも、
一緒に担いたい、と思ってくれてるのかな」

とふと思いました。


地球に家族として生まれてくるには、
魂からの約束があったり、
とにかく生まれる前から何かしらの
えいえいおー的なことがあって、
家族になるそうです。


私は、あくまで人間の視点で、
もし自分にこどもができるなら、
出来る限り自分を「一人の人間、大人として」
ベターな状態にしておきたい
と強く思っていたけど、

そうでもないのかもしれない。

そのままの状態でいて、
それでもしかしたらこどもから何か
新たなクリエイティビティをもらうことに
なったり、今じゃ想像もできないような
展開を、こどもも一人の人間として、
チームで乗り越えてこうぜ!
と思ってくれてるのかもしれない。


とてもとても、心強い。
優しいね。

f:id:bethemagic:20201012173648p:plain


セッションをしてくれた友人から、
楽しいことをして、
それをおすそわけするつもりで
いればいいんじゃないかな?
ということばももらって、
それもとっても嬉しかった◎

私には、誰かをエンパワメントしたい!
みたいな、真っ赤に燃えたぎる炎!みたいな
気持ちはあんまりないけど(笑)、
楽しいことをして、
それをみんなに共有したい!
みたいな、
ピンクみたいな黄色みたいな
気持ちなら、すごくある。

それをそのままでいればいいんだなあ、
と思えました。

すごく素敵な言葉だったので、
ブログのタイトルにもしてみました。

「あるがままを、おすそわけ。」

 

あるがままを おすそわけ。

今は影も形もないけど、
これから生まれてくるかもしれない
じぶんのこども
という存在に対して、
私はできるだけ、じぶんの方向性が
決まってから産みたい、
できるだけ、じぶんの傷を癒してから
産みたい、と、ずっとそう思っていました。


仕事も、自分自身も、他のいろんなことも、
なるべく今自分が思いつく限りの
「より良い」に近づけてから、産みたい、と。

それは、こどもをつくってしまったら、
じぶん個人として身動きが取れなくなるぞ!
じぶんのことだけ考えるわけにはいかなくなるぞ!
というような、
焦りというか、エゴというか、
もっといい自分になってから迎えたい、
という真面目さというか

どちらかというと
少し世界を厳しい視点で見るような、
そんな心持ちでした。


ですが、ちょっと心が軽くなったので、
そのはなしをおすそわけしたいと思います。

今日は、おともだちのアカシックリーディングの
セッションを受けました。

そのお友達がみているビジョンの中に、
当たり前ようにこどもが含まれていて
上のような気持ちであることを伝えると

 

・こどもができるからって
全てできなくなるわけではない

・何かの(その多くがキャリアの)犠牲の上に、
こどもを産む選択をするというのは、
もはやしなくていい時代になっている。

・こどもができることも含めて、
私はこの魂でこのエネルギーで生きることを
楽しみ尽くしたいと思っている

という風に教えてもらえました。
自分でももちろん考えてみたことのあること
だったけど、改めて言ってもらうことで、


「あ、もしかしてこどもも、
一緒に担いたい、と思ってくれてるのかな」

とふと思いました。


地球に家族として生まれてくるには、
魂からの約束があったり、
とにかく生まれる前から何かしらの
えいえいおー的なことがあって、
家族になるそうです。


私は、あくまで人間の視点で、
もし自分にこどもができるなら、
出来る限り自分を「一人の人間、大人として」
ベターな状態にしておきたい
と強く思っていたけど、

そうでもないのかもしれない。

そのままの状態でいて、
それでもしかしたらこどもから何か
新たなクリエイティビティをもらうことに
なったり、今じゃ想像もできないような
展開を、こどもも一人の人間として、
チームで乗り越えてこうぜ!
と思ってくれてるのかもしれない。


とてもとても、心強い。
優しいね。

f:id:bethemagic:20201012173648p:plain


セッションをしてくれた友人から、
楽しいことをして、
それをおすそわけするつもりで
いればいいんじゃないかな?
ということばももらって、
それもとっても嬉しかった◎

私には、誰かをエンパワメントしたい!
みたいな、真っ赤に燃えたぎる炎!みたいな
気持ちはあんまりないけど(笑)、
楽しいことをして、
それをみんなに共有したい!
みたいな、
ピンクみたいな黄色みたいな
気持ちなら、すごくある。

それをそのままでいればいいんだなあ、
と思えました。

すごく素敵な言葉だったので、
ブログのタイトルにもしてみました。

「あるがままを、おすそわけ。」

 

この記事をシェアする