わたしの愛と性と存在のはなし

大切で素敵な友人、赤坂真理さんの新刊記念トークイベントにお邪魔してきました。

 

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私が赤坂さんとはじめて出会ったところは、「作家」として彼女が存在している場所ではなかったので、「先生」といわれていることがとても新鮮でした。(笑)

 

お相手をされていた慧梨香さんのお話もとっても面白くて。(SMの話とかされてたのですが、なんか自分の顔が変にニヤついてる気がして、マスクしててよかったな~って思いました。(笑)あれは広義の仮面舞踏会だったのかもしれない。)

 

 

「性」もしくは「性的なこと」って、日常あまりにそばにありすぎて、わからなくてもわからないっていいずらい。

過剰に反応してそこに意見しまくる、みたいなのも私は変な気がするし、かといって反応しなさすぎるのも違う気がするし。

 

こういう機会があることで、自分のポジションだったり、スタンスだったりを考えることができるのでありがたかったです。

 

 

まだ本は発売されたばかりで、読んでいないのですが、今日は真理さんに後押しされた気持ちで、わたしの中での「愛と性と存在のはなし」を書きたいな、と思います。

 

 

ひらたくいうと、セックスのこと。

 

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なんとなく卵。笑

 

私にとって、ほんとうにセックスがこういうものなのね~!幸せなやつなのね~!というのが体感としてわかったのは、旦那と出会ってからです。

 

 

ぶっちゃけたことを書くと、それまでは私、ただただ「性欲」のつよい人間だったと思います。実際、自分の「求める欲」「私に与えてくれ」という気持ちが強すぎて、相手がEDみたいになっちゃったこともある。(これは、愛でもなんでも、とにかく自分で自分に与えなくちゃいけないんだ、ということを学んで、ずいぶん解消されました。)

旦那からも、「エネルギー吸いとられてる気がする」と言われたことがあります。(笑)私には無い、ないからほしい、と思いすぎてたんでしょうね。

 

 

話が逸れましたが

単純な「性欲」、もしくは「ほんとうは違うけど、セックスで満たせると思っていた何か」が強かったというのとは別に、

 

「性欲」と「愛情」をわざと自分でごっちゃごちゃにすることで、「恐怖」を見ないように、感じないようにしていた気がします。

 

 

男性器が自分に、物理的に入ってくること

 

 

頭では当たり前の流れだけど、これって結構意味わかんなくて(笑)。

 

 

フェラをして、手で触れて、自分でちゃんと動物のように確認して、輪郭をなぞって、安全を確認して、そういうことをしないと、その「わけのわからない物体」が「わけのわからないまま」自分の中に入ってくることになる。

 

 

女性は、大切な男性に対して「ながれ」としてはそういうことをしていても、そこに関してめちゃくちゃに集中すること(全集中!フェラの呼(自粛)になることって、滅多とないんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

 

「ながれ」があるから、舐めてはいる、触れてもいる、けどほんとうは「わけのわからない」物体が入ってくるから、集中して感じることもできない。こわいからね。

 

 

かく言う私も、その犬みたいな「確認作業」をするまでと、したあとでは、自分の身体の中に男性器がいる、という感じ方が格段に変わった気がします。

 

 

「私が中に入れることを正式に認めたものが、いる」感覚。

この安心感たるや。

 

全集中、をやったことがない方、いらっしゃったら一度、おすすめします。

感度上がるんじゃないかな。しらんけど。(笑)

 

 

とはいえ、どういうものを求めてセックスするのかとかは人それぞれだから(安心感なんぞいらんのや、って人ももちろんいるだろうし)読み流してくださるくらいで嬉しいです。

 

性の話って、誰にとってもだいたいデリケートだから、「発言しっぱなしではいけない」みたいな空気もあるように私は感じていて。

 

んー、これは書くと「いや、本来なんでも発言しっぱなしなのはダメでは?」みたいになるやつなのですが、

 

発言したことに責任を持てよ(お前そのスタンスでくるならわたし違うスタンスだからさ、意見させてもらうぜ)、という圧力が特段強いトピックな気がしてる。 

反応もデリケートだから(それだけみんな内側に抱えてるってことでもある)、ざっくり扱えないもの、というか。ざっくり扱うことの危うさももちろんあるから、むずかしいところ。

 

 

でも、こうやってわからないなりにも、難しいことは議論したくないなりにも(笑)、わからないままただ書くことが、わたしという輪郭をすこし強めてくれる、と願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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